今日はついていない。
朝寝坊して、髪はあちこちハネているし、電車には乗り遅れるし、
お気に入りのペンは忘れてくるし、提出物は机の上に置いたまま。
次の教科、国語の教科書も忘れてしまった。







教科書のはじっこ







仕方がないから、3組の親友、に教科書を借りに行った。
けれど…



「えっ、も持ってないの!?」

「ごめん〜〜っ」



国語はあるらしい。けれど、も教科書を忘れていた。
私に借りようと思っていたらしい。



「どうしようかな…」



他のクラスの友達に借りに行くしかないけれど、隣のクラスは移動教室らしく、教室には誰も居ない。
それに、なんだかもう面倒くさくなってしまった。



「ごめんね、…」

「ううん、忘れる私が悪いんだし。」



仕方がないから今日は教科書無しでいいやと思ったときに、
の後ろから声がした。



「どうしたの?」



私の想っている人の声だった。今日はもうなんだかそれだけで幸せな気分になった。
このときからだろうか。‘不幸’が‘幸’に変わったのは。



「あ、不二君。が国語の教科書忘れちゃったらしいんだけど、私も忘れちゃって…」

「じゃあ、僕のを貸そうか?」



きっと、不二君はなんとも思わずにこう言ってくれたんだと思った。
だけど私はとても驚いた。同時にとても嬉しかった。
さっきまでの不幸が嘘みたいだった。



「いいの?」

「うん、少し待ってて。」



不二君はそう言うと席まで教科書を取りに行った。
は、よかったじゃん、vとか言って、私を軽く叩いてきたりした。
ふと、不二君のほうを見ると、教科書に何かしているように見えた。
は気を遣ってくれたのか、‘準備するから’と言って、席へ戻っていった。



「はい、さん。」

「ありがとう。いつまでに返せばいい?」

「昼休みに返してくれれば間に合うから。」

「じゃあ、昼休みに返しにくるね。」



そう言って教室に戻ろうとしたとき、耳のすぐ横で声がした。
小さく、低い声。



「…102ページの右端。…答え待ってるから。」

「…えっ?」



一瞬、何が起こったのかわからなかった。
私のすぐ横で聞こえた声は、不二君の声。
不二君は、それじゃあね、と言って何事もなかったかのように席に戻って行ってしまった。
頭の中が真っ白なまま、私は少し急いで教室に戻った。










授業中も殆ど先生の話は頭に入らなかった。頭の中を駆け巡るのは、さっきのことばかり。
耳のすぐ横で聞こえた声。低くて、頭にずっしりと残る声。いつもと違う…私の好きな、不二君の声。
そういえば、102ページの右端って言ってた気がする。
私は少し震える手で102ページを開いた。そっと、大切な、でも恐ろしいものを開くように。
教科書の端には、綺麗な字が並んで、言葉を作っていた。ただ、一言だけ。








―――君のことが好きだよ。








目が嘘をついていると思った。何度も目を擦ったけれど、何度もまばたきをしたけれど、
それは消えることなくそこに残っている。また、頭の中でさっきの声がし始めた。








―――…答え待ってるから。








答えって、これへの答え?これは不二君の気持ち?
私信じてもいいの…?



頭の中でいろんなことがぐるぐると回り始めた。
もう何がなんだかわからなくなってしまって。
はっ、と気がついたのはチャイムの音が鳴ってからだった。













「不二君、」



昼休み、私は約束通り教科書を返しに行った。
名前を呼ぶだけで、心臓が跳ね上がった気がした。



「教科書、ありがと。」

「どういたしまして。」



不二君は私の差し出した教科書を受け取った。
いつもと変わらず、笑顔で。何事もないように。



「…あの、それでね、」

「うん?」



私は照れて赤くなってそれを隠すように俯いた。
それから一回大きく息を吸い込んだ。周りの空気がとても冷たく感じられた。



「…答え、書いておいたから。」



そう小さく言うと、私は、またね、と言って、その場から逃げるように立ち去った。
あの手渡した教科書のはじっこ。綺麗に整った文字の横に、少し震える手で書いた私の文字。
言葉は、ちゃんと届いてくれるだろうか?









―――私も、好きだよ。