(あ、)

 その日は何か見たいものがあって商店街まで出た日だった。駅を出ると、大きなポスター。有名なブランドの広告だ。そのポスターに宙を見つめたまま写っているのは、葉月くんだった。

(本当に、あの葉月くん、だよね)

 思わず立ち止まって少し高い位置にあるポスターを見つめる。写っている葉月くんはいつもとは全く違って見えた。綺麗とか、そういう言葉で片付けられないというか、なんだか…

(別の世界の人、みたい)

 そう思ってしまうと葉月くんが遠い存在に思えてしまって、なぜだか泣きたくなった。

(変なの。葉月くんは葉月くんで変わらないのに、どうして、)

 どうしてこんなにも泣きたくなるんだろう。どうしてこんなに急に不安になるんだろう。葉月くんがモデルをやっていることなんて学校ではじめて出会ったときから知っていたし、バイトで仕事中の葉月くんに会うことだって何度もあったのに。

 そう考えてみてもよくわからない不安はおさまらなかった。気づけば携帯電話を取り出してかけなれた葉月くんの番号に電話をかけていた。

『はい、』
「あ、葉月くん?」
『どうした?』

 受話器から流れてくるいつもの声に安堵する。さっきまでのよくわからない不安がすう、と引いていくのがわかった。

「あ、いや、えーっと…なんでもないんだけど」
『なんだそれ…ヘンな奴』

 うん、今日のわたしはなんだか変なんだよ、葉月くん。そう告げて笑う。

「…あのね、」
『なんだ?』
「今駅前に居るんだけど、葉月くんの新しいポスターを見たの」

 見た、というか見ている、というのが正しいのだが。

「すごく綺麗で、わたしの知らない人みたいで…」

 知らない人みたいで、と声に出したところでまたふと泣きたくなった。今こうして話しているのはまぎれもなくいつもの葉月くんで、今目の前にあるポスターに写っている人物も同じ葉月くんなのに。

『バカ。お前多分誰よりも俺のこと知ってるぞ』
「そうかなぁ」
『ああ』

 確かに学校ではわたしがいちばん葉月くんと話をしている気がするし、仕事中の葉月くんを見ることもあるから、全く知らないわけではないけれど、なんだかそう断言されると可笑しかった。

『それより、今お前駅に居るんだよな?』
「え?うん、そうだけど」
『俺、今近くで仕事してるんだけど、もう終わるから、お前そのままそこにいろ』
「え、あ、うん…というかお仕事中だったんだね、ごめん」

 仕事中はだいたい留守電になっているから、今大丈夫か訊くのをすっかり忘れていたことを後悔した。

『いや、もうほぼ終わりだったからいい。…すぐ行くから』
「うん、待ってる」

 ぴ、と音を立てて通話が途絶えた。携帯電話をかばんに仕舞って、またポスターを見上げる。そこにいる葉月くんは宙を見つめたままだ。





、」

 いつもの待ち合わせ場所で待っていると、葉月くんは思ったより早くやってきた。後ろから声をかけられて振り返る。

「早かったね」
「ああ…もう終わりだったから」

 そうなんだ、と返しながら葉月くんを見てふと気づく。さっきまでの不安の原因。

「…ねえ葉月くん、せっかくだからお茶して帰ろうか?」
「ああ」

 葉月くんはわたしの言葉に頷いてくれて、わたしに視線をくれる。わたしを見てくれる。
 葉月くんとこうして話をしたり、目を合わせたり、頷いたり笑いかけてくれたり、たったそれだけのことだけれど、わたしはきっとそれを感じて安心しているんだろう。宙を見つめる葉月くんがどこか遠く感じたのは、多分視線の合わない恐怖から。写真なんだから当たり前のことなのに、それだけのことで不安になるなんてやっぱりわたしは変なんだろう。

「じゃあ行こっか!」

 妙にすっきりした気分でいつもの喫茶店へと向かう。葉月くんは、本当にヘンな奴、とつぶやいてわたしの隣を歩いた。



 商店街で見たかったものなんてすっかり忘れてしまっていたけれど、そんなことどうでもよかった。
 もっと大事なものが、もうすぐ見つかる気がした。